
さて、Part1からの続きです。
流石に直近のことを思い出すと、結構精神削れますね(苦笑)
30代
30代は仕事・仕事・仕事でした。
ぶっちゃけ働きすぎ訳ですが、この代償はのちに後にのちにきっちり清算される事に。
妻と一緒に暮らすようになって、あちこち転職しまくって、SESの4次受け位の底辺SEとして小銭を稼いでいました。
しかし、やはり病気には勝てず、躁転しては借金し、鬱転しては点滴しながら仕事・仕事・仕事でした。苦しかったですが、やめて逃げても結局何も改善されないまま、病気はどんどん悪化していく一方だったと思います。
二回目の自殺未遂も30代でやらかしておりまして、その時は即入院と相成りました・・・・
40代
過去二回入院して、12回転職して、2回死にかけていましたが、まだ生きています。
奥様が私のアンカーになっているのは間違いないと思いますが、とうとう限界がやってきました。
なんと、医師から就労禁止を言い渡されました。
当然当時勤めていた会社は退職。
幸い年金はもらっていましたので、なんとか生活することは可能でした。
(食費や家賃は奥様が負担していたので、完全にヒモでした)
抑うつが酷かったので、朝のウォーキングどころか、朝起きること自体難しくなっていました。
無気力で無表情で無感情・・・・奥さんはどう思っていたんでしょうね・・・・・。
何も言わず、ご飯作ってくれていました。
うーん。思い出しつつ書いていますが、ちょっとしんどくなって来ました(苦笑)
そうこうしている内に40代も終わりを差し掛かった頃、ようやく社会参画したいっていう気持ちが湧いて来ました。主治医に相談したところ、いい傾向だという見解を得られましたが、就労許可を貰うまでにはまだ半年という時間が必要でした。
晴れて就業許可をもらえた訳ですが、ハローワークへ行くも、障害者雇用のお手当は雀の涙・・・・・
クローズドで働く選択肢はなかったので、取り敢えず暫くはハローワークへ通って仕事を探す日々だったのですが、年齢的な問題・障害のことがあり、就職活動は相当難航しました。
しかしようやく仕事が見つかり社会へ戻っていくのでした。
50代
さて、入社して丸3年。仕事は現場の皆様には喜んでいただいていますが、評価としては・・・・まぁされませんね。社員登用試験も落ちましたしね。
おかげでひどい鬱転〜混合状態〜躁転〜鬱転というルーチンを1年間で繰り返しています。
体重も20キロ落ちました。ぶっちゃけ52歳の今、とてもやつれています。
また転職するかもしれません。(というか転職エージェントをおさえています)
さぁ・・・2023年9月に笑っているか泣いているか(いや泣けないんですが)、転職しているのか・・・・どうなるかはサイコロ降ってみない事にはわかりません。
最後に
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