admkazuyaの歩んできた人生について
※2023年4月17日
一本で書こうと思っていましたが、余りに長いので、何本かに分けて書くことにしました。
よくある話ではありますが、双極性障害について語る前に、私自身の事について赤裸々に
振り返ってみたいと思います。
最初にお話ししておかないといけないのですが、私より酷い人生送っておられる方は
本当に沢山いらっしゃると思います。
それでも私の周りの人たちよりは割と過酷な人生を歩んできたかな?
双極性障害を罹患してしまったお陰で、人生滅茶苦茶です(病気のせいにしている訳ではありませんよ?w)
アイキャッチ画像は奥様が若かった頃の趣味がちょっと復活して・・・・(あとは分かりますよね?)
幼少期
実は幼い頃のことはほとんど思い出せません。主に義母から聞いた話が中心です。
はっきりしているのは、私が3歳か4歳の頃に両親が離婚。実母の元へ引き取られたそうですが、
なんと実母が育児放棄。
理由については本人にも聞いてみたのですが、「墓の中まで持っていく」との事でしたので
もう分かりません。
義母(実母の母親なので、母方のおばあちゃんですね)の元へ置き去りにされてしまいました。
いい子と嘘
義母の元に置いていかれた私は、大正生まれの人に昭和前半志向の厳しい教育にさらされ、
何かあると「お前なんぞ、丹波の篠山に捨ててやる」と脅され続けたお陰で
「いい子でないとこの家では生き残れない」と激しく思うようになり、抑圧された中で「いい子」であろうとし続けたお陰で、クズに育ちました。
「いい子」であるためには、騙したり嘘をついたり平気で出来るようなクズの出来上がりです。
おおよそ令和の今ではあり得ない教育方針だと思いますが、まぁそういう世代の人に育てられたので、
外面は「いい子」に見えるようになりました。
ただ、本当に何度も言いますが、本当にクズ人間です。
隠し事はするし、嘘なんて平気でつきます。
今の奥様に愛想尽かされないのが不思議でなりません。
(最近家庭内がちょっと険悪なので、もしかしたら私が出ていくことになるのかもしれませんが)
少年期〜青年期
こうして立派なクズ人間として成長を始めた私ですが、いよいよ集団生活に入っていきます。
そう幼稚園から始まる学校の生活です。
総じて言えるのは、考えずに話す性格となっていたため友達がいませんでした。
(口は禍の元を地で逝っている感じですね)
まぁ典型的なmob男でしょうか。
(何せクズがベースなので、当たり前と言えば当たり前。自業自得な訳ですが)
今思えば、中学生の頃から、双極性障害の症状が出始めていたように思います。
「あーあの時はたぶんたぶん躁転していたなー」と思えるような事件が
それはそれは沢山ございました。
学業の方ですが、可もなく不可も無くと言ったところでした。
遂に最初の人生の分岐点、高校への進学を真面目に考えないといけない状況になったわけですが、
私自身は中学を卒業したら働きに出るつもりでした。
(いや、本当は義母からにげたかったのかもしれませんが)
しかし、当時の担任(中学2年生からのおつきあいです)の熱烈な説得もあり
最終的には高校へ進学することを決めたのですが、
進学先も、「自転車で通えるところ」で、私の学力でも行けそうなところという選び方w
まぁ家が貧乏だったので仕方のない事だったのかもしれませんが、
とにかく大学へ行く選択肢はなかったため実業高校を選ぶ方が良いだろうということになり、
最終的には、関西でも有数の歴史を誇り、関西地盤の錚々たる企業にOBが沢山いらっしゃるという
宣伝文句に負けて、我が母校を選択しました。
高専というところがあると話に聞いたのですが、「お前の成績じゃムリー」の一言で終わりw
晴れて高校生になってからも、やはり変わるわけもなく、相変わらずのクズっぷり。
アルバイトを始めたのですが、家には1円も入れず、もらった給料は同級生への借金返済と
趣味にしていたコンピュータ関連に全部消えました。
(まるで手に入ったお金は全て手のひらから溢れていくようで、それは今でも変わりません)
ただ、1つ大きな違いがあるとしたら、ちゃんとした友達が出来るようになったことでしょうか。
アルバイト先では相変わらずのロンリーでしたが、学校ではクラブ活動(文化系の掛け持ち)と
生徒会と専門科の先生の助手をやって、割と楽しく過ごせた3年間だったと思います。
社会人(18歳〜29歳まで)
高校での求職活動も、やはりほとんど何も考えずに、初任給だけで選びましたw
まぁ採用されたわけですが、同じ業界でもこれほど違いがあるのかと思い知らされました。
最初の3年間は、本当に充実していたと思います。
見た目が老けていたので、先輩と間違われて1年目は苦労させられましたが
(見た目30歳前後の18歳でしたので。あ、今と違ってちゃんと髭も剃ってましたよ?)
ところが4年目に、社内でも超有名な悪名を轟かせているパワハラ上司が赴任してきた頃から
思えば色々おかしくなってきたように思います。
最終的にその会社を辞める原因になったわけですが、3時間お説教で立ちっぱなしとか
今じゃ考えられないですよね。
その頃から不眠に悩まされるようになりました。
あと十二指腸潰瘍にもなりました。あ、これはストレスからだろうと医者から言われました。
もう少し病院に行くのが遅かったら、そのままお腹開けられてたそうです。
初めて味わう痛みに伴う脂汗・・・・うわ。思い出したら変な汗が・・・・orz
多分、十二指腸潰瘍になったのがキッカケで、些細なミスでなんかお説教始めようとするので、
「もう辞めます」って言って帰っちゃいましたw
めっちゃ家に電話かかってきましたけどwww
22歳で初めての転職だったのか・・・・まぁこれから幾度となく転職するわけですが
こうやって振り返ると感慨深いですね・・・・
まーここからはブラックな会社で滅茶苦茶働きました。最高で400時間/月超えました。
どんどん眠れなくなっていきます。
最初は馴染みの町医者に通って、マイスリーで誤魔化していましたが、遂にごまかしきれなくなり
精神科の門を叩くことになりました。
26歳だったかなー。
私は今まで一度も精神科の主治医を変えたことがありませんが、この時だけは自分の持ってる運を大量に消費してしまったんだなぁ・・・
なんて思うくらい良い先生です。
おっと脱線しましたね。
遂に精神科の門を叩いたわけですがこの病気を抱える患者の宿命か最初についた診断はうつ病でした。
なので勿論抗うつ剤が色々出ました。
今考えると恐ろしい処方なのですが、当時の私にそれを知る由はなく、何か元気になったーって
思っていました。
次の谷が来るまでは。
ところが、義母が交通事故で他界した時から何か妙にハイテンションで多弁で物欲や性欲が
とどめを知らず、恐ろしい金額の借金を積み上げてしまうことに。
(まぁ春を買いに行ったり、カメラを買いに行ったりと、買い物が常軌を逸していた感じでしたね)
と、そんな中、定期の診察で(病院はちゃんと通ってましたよ。薬切れるの怖かったので)、
義母のこと切れる瞬間のことを先生にブワーッと話してしまい
「此奴はうつ病ではなく双極性障害でしかも躁転しており危険な状況だ」と言うことから
双極性障害I型の診断に変わりました。
そろそろ若者世代が終わろうとしていたその頃、遂にその日は訪れるのでした・・・・・・・。
初めての自殺未遂
よく駅で人身事故の知らせを聞くと、「あーまたか・・・・全く迷惑な奴だぜ」なんて思うこと
ありませんか?
そう。
私はその迷惑かける側にもうちょっとでなりそうな目に遭いました。
その日は仕事も早く終わり、直帰して良いよということで、現場から駅まで
(通いつけのクリニックの最寄駅でもありましたが)てくてく歩いていました。
日頃の睡眠不足っぷりからか、なんだかぼーっとするな・・・・位に思っていました。
そして駅のホームへ登ってきたわけですが、何故か帰る方向とは逆のホームへ無意識に歩き出していくではないですか。
しかも足が止まらない。いや、本当に止まりませんでした。
そのうち、電車の警笛も聞こえたような気がしますが、ほとんど耳に入りません。
すわ。足が止まらん。ただ不思議と焦りや不安はありませんでした。
ただホームの端へどんどん歩みを進めるのです。
そのうち、警笛を鳴らしっぱなしの電車の先頭車両が通り過ぎたような気がするのですが、はっきりと覚えているわけではありません。
はたと我に帰ったのは、奥様からの「疲れた。帰る」メッセージ。
あと2歩くらいのところで、急に現実に引き戻され、慌てて後ずさったことをよく覚えています。
スマホを振る手で握りしめたまま、クリニックへ飛び込みました。
(電車に飛び込んだら、多分何個かに分割されてるんでしょうね)
飛び込みで行ったにも関わらず、すぐに診察室へ呼ばれました。
(ここのクリニックは待ち時間が長いことで有名です)
ちょうど私が受付にいた時に担当医が診察室から出てこられたので、私の様子を見て尋常ではないと察してくださったんでしょう。
診察室に入ってガタガタ震えている私に「今日はどうしたの?」といつもの調子で
語りかけてくれる担当医。
しばらく言葉も出なかったのですが、
ようやく「先生、疲れました」と声が出て、「よし。入院しようね!」
えーっと・・一応任意入院ですよ。一応w
少し話せるようになって、つい先刻の事を担当医へ報告。
すぐケアマネのところへ連れて行かれ、「xx病院なら明日入院できます」と言われたので、「今日は一人で帰れそうですか?」と聞かれたことをよく覚えています。
その辺からすごく怖くなりました。
自分が挽肉(というか、バラバラ死体?)になりに行ってしまったこと、頭では分かってるのに体が動かないことなんてあるんだという事実を突きつけられた事。
本当に怖くなりました。
でも、十二分に肝が冷えて逆に冷静になれたように思います。
(それにしても致命的瞬間に連絡してくる奥様、ワイの視界に枝でもつけてるの?)
とりあえず結びます。
と言うのも、書き出すと止まらなくなって、これは読む方が大変だ・・・・と思ったからです。
一番最初に読んでくれるのは、何方なんでしょうね。
私の経験が病に苦しめられている皆様のお役に少しでもたてれば幸いです。
2023年4月17日
拝
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